うみねこのブルース

わたしたちは自由だからブルースだって歌ってやる

ネオ寿司チェーン店「魚米」のトマトラーメンが抜群に美味しい件について

先月北関東の地元に帰った際、ずっと気になっていた寿司チェーン店「魚米」に行ってきた。

 

わざわざどうして寿司チェーン店へ…と普通は思うところだけれど、魚米は栃木県宇都宮市に本社を持つ会社(元気寿司グループ)で、北関東を始め東日本には店舗数が多いものの、西日本には4府県くらいにしか進出していないので、家の近辺には全くないからだ。実家に帰る度に、帰りの高速バスから店舗を眺めては行ってみたいと前々から気になっていたお店だった。

 

 

白と茶色を基調としたシンプルな店内、入店しての第一印象は「なんだこのごちゃごちゃしていない回転寿司屋は…!」という感じだった。とにかく「余計なものは要らない」というポリシーを節々から感じられる。

というのも、寿司チェーンであるのに寿司が回っていない。回らない寿司屋、ではなく寿司そのものがまず目の前のレーンに置かれておらず、注文したものが新幹線やスペースシャトルに乗って各席へ運ばれるシステム(しかもめちゃめちゃ高速)。これはネオ寿司チェーン店と呼ぶべきかもしれない。

 

 飲食店では重要チェックポイントのひとつ、トイレも店内同様にシンプルな作りになっており、さらには手洗い場に綿棒が置いてあるというちょっと親切な居酒屋並みに気の遣えるお店だった。(トイレットペーパーホルダーの上部に大きめのテプラのテープを剥がした跡が拝見できたのだが、店長が注意点を記載して貼ったけれど、マネージャーに注意されて剥がした的な流れだとわたしは勝手に予想した。そのくらいシンプルにこだわっているんだと思う。)

 

 

 私的高ポイントだったのは、醤油皿が用意されていること。これは他の寿司チェーン店では案外ない。初めに届いた寿司の皿を代わりに使えばいいのだけれど、わさびの袋を置く場所に困ったりするんだよね。だから、「おっやるじゃん魚米(急に上から目線)」とわたしは思った。

 

 寿司が全て注文してから仕上げられるので、シャリもふっくらしていれば、ネタも決して水分を失ってカピカピしていることもない(たまに店内を何周したのか?というほどカッピカピのネタを見たときほど悲しいものはない)。

 

 

そして何と言っても最高だったのは、

「こだわりトマトチーズ味噌ラーメン」320円(税込345円)。

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http://u.genkisushi.jp/b/side_1

 

まず、夫が口にした瞬間の反応が明らかに違った。おや?

わたしの夫は豚骨や背脂を買ってきてスープから作るくらいにラーメンが好きな男。もちろんチャーシューも自家製(レシピはMasaharu Miwa 三輪雅治さんのものを参考にさせていただいています。最新版はこちらから→ 最新版! 簡単・美味しい(スーパー) チャーシュー(煮豚)の作り方 おせち料理にも[頑固おやじ] )。二人で麺からこねて作ったこともある。今は製麺機が欲しいらしい。

 

 

魚米のトマトラーメンに戻る。

一口食べて出た一言「うっっっっっっっっま。」

 

 これはものすごく美味しいものを食べた時にお世辞でなく、むしろ反射的に出てしまう時の台詞。う と まの間の小さい「っ」の数がそれを物語っている。

 

 

麺のもちもちさはもちろん、プリッとして表面は程よくつるっとしている。気に入って新大久保の「ソウル市場」で箱買いして配送したブルダック炒め麺くらいに美味しい。オリジナル 10個 韓国 食品 ラーメン プルタック プルダッグ ブルダッグ ぶるだっく

*ちなみに、ソウル市場では通販もやっている。配送料がそんなに高くないのでここで買うのが一番オヌヌメではある。

www.seoul-ichiba.com

 

 

そしてなんと言っても、スープが美味しい……!

味噌ラーメンがベースなのだけれど、味噌:トマト:辛味が4:1:1くらいの割合(個人的な見解です)で配合されている。そこにチーズ。このチーズがまたスープや麺と絡んで美味しい。

 

 

あまりにもこのトマトラーメンが美味しすぎて、翌日地元を出る前にも寄ってしまった。前日の夜に高校時代の友人たちとしこたま飲んだ後だったので、胃にもいい感じで効いてくれた(たくさん飲んだ翌日にみそ汁などの塩分を摂るのが一番効くらしい)。

 

 

帰路での夫との会話はもっぱら「魚米はやばい、関西に進出したらぶっちぎりで一位になるよね。」という感じだった。早く、家の近くにも出来て欲しいと熱望している。このラブコールよ、宇都宮本社へ届けっ!

いま住んでいる家から一番近い店舗は車を1時間強走らせたところにあるのだけれど、地元で魚米へ寄った一週間以内に、気付いたら向かっていた。そのくらいこのトマトラーメン、半端ない。

 

 

何故これを書こうと思いついたかといえば、トマトラーメンの美味しさはもちろんなのだけれど、いつも楽しく拝読している年齢オブジョイトイさんのブログでクリエイトSDの店内BGMに脳内を支配されるという記事を読んで、真っ先に思い浮かんだのがこれだった。魚米にはもっとやばいBGMがあるよ。。。

 

marple-hana1026.hatenablog.com

 

 

う〜おうおベイベー うおベイベ〜♪

う〜おうおベイベー うおベイベ〜♪ 

 

超ノリノリでお姉さんがうおうおベイベー歌ってる。完全にわたしの脳内もあっという間に侵食されてしまい、全力で音程やテンションもコピーする勢いでわたしは歌い、夫は隣でコーラスのハモリを加える。

 

突如として冷静になって「この女の人、どんな気持ちで歌ってるんだろうね」と呟いたら、「そりゃあ仕事だからね」とドライだけど当たり前の返事が返ってきた。せやな。

 

カフェイン中毒とわたしの友だち

友人は少ないけれど、関西に越してきてから有難いことにもう5人の友人がはるばるこちらに遊びにきてくれた。最終学歴の友達は一生の友、みたいなことを大学の教授が言っていたけど、わたしにとっては高校時代の友人は一生の友だと思っている。

 

 

その中でも特に高校時代に仲が良かったSがいる。

Sとはその頃から苗字でお互いを呼び合っている。中学生までは主に下の名前があだ名だったのだけれど、キャラじゃないと言われて、高校時代からは苗字=あだ名になった。Sとはクラスは一度も被っていないけれど部活が一緒で、週末の部活帰りには実家近くの湖へ鯉や鳥にエサをあげに行ったり、馴染みの古着屋に通ったりしてほとんど一緒に過ごしていた。

 

 

先月、Sが貴重な夏休みを費やしてわざわざ遊びにきてくれた。二人でくるりの音博に行く予定だったので、それに合わせて一週間弱うちに泊まっていた。いまは医療関係の仕事に就いているSとは、気がつくともっぱら健康の話で持ちきりになる。塩分と糖質の摂り過ぎには気をつけたほうが良いこと、糖尿病患者の末路はすごく厳しいということ、痩せるには食べ物に気を使うよりもまず運動することが一番だということ、話題が大人になったなあとつくづく思った。

 

医療従事者にとってはきっとあるあるな話だと思うけれど、自然とわたしからSへの健康Q&Aコーナーが始まる。同時にわたしの過去の健康状態がSには明るみになるので、退職前の1年くらいの間精神科を探し回っていたけれど薬に頼ったら行けないと思って行けなかったこと、大学3年生の時に痔がひどくなり過ぎて腸がお尻からちょっと出てしまっていたこと(これは焦り過ぎて当時誰にも相談できなかった 薬を塗って乾かしてを毎日続けてなんとか治った)も全部知っている。

 

その流れで、今年コーヒーを飲み過ぎてダウンしたんだよね〜という話になった。 

umineko-blues.hatenablog.com

 

この記事の時の話なのだが、わたしはただの夏風邪(もしくは熱中症)だと思っていた。Sから返ってきた一言は「それは完全に脱水だね〜」だった。Sが我が家を訪問してから一日のうちに何度かアールグレイティーを淹れたんだけど、「こいつよく飲むなー」と思っていたらしい。普段その4倍くらい飲んでいる自覚があるので、いつもどのくらいコーヒーや緑茶(紅茶)を飲んでいるか伝えたら、「それ、完全にカフェイン中毒だよ」と言われてしまった。まじか。全然気付かなかった。

 

 

わたしが好きな飲み物は特に濃いコーヒーと緑茶で、コーヒーにミルクを入れて飲むのは口の中がもったりするから好きじゃない。甘い香りが苦手なのでハーブティーもあまり好きじゃない。コーン茶黒豆茶は家にあるけど、気付いたらコーヒーか緑茶を飲んでるんだよね。気付かないうちに、カフェインが強いものばかりを好んで飲んでいた。

 

 

Sが滞在している間、ちょっと遠出をして信楽までドライブした。信楽はたぬきの置物の信楽焼きで有名な町だけれど、美味しいお茶の産地でもある。コーヒーや緑茶に比べてまだカフェインが控えめなほうじ茶を買った。完全にSとの会話が影響している。「ほうじ茶なら、、、いいよね?」と完全にわたしもSの顔色を伺う感じになっていた。Sは穏やかに笑っていたので、レジまで急いだ。

 

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お気に入りの掘り出しものティーポット

それからというもの、なるべくほうじ茶を飲むように努めている。冬はつとめて。うみねこはカフェインをひかえて。

そのほうじ茶、茎が多めなんだけど、飲むときに茶柱が立っていることが多いのでちょっと幸せな気持ちになれるし、いいかなと思ってる(茎が多過ぎて口の中に混入することもあるので注意)。

 

 

同じく珈琲好きな高校の友人はワンシーズンに1度や半年に1度くらいの頻度で素敵便(コーヒー豆やナッツのセット)を送ってくれるのだけれど、わたしのカフェイン中毒も浸透して、前回はカフェインレスコーヒーの豆を送ってくれた。ありがたや。ってかお前はどんだけ仕事ができるんだ。泣いた。

 

とにかくわたしが伝えたいのは、カフェイン中毒にはくれぐれも気をつけて、そして友人を大事に、ということです。

インスタントコーヒーの香りがして思い出す景色は

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五感の中でも嗅覚が一番記憶に結び付く、ということを聞いたことがある。

嗅覚以外の五感が脳の視床というところを通ってから大脳に辿り着くのと違って、嗅覚だけはどうやらそれらをすっ飛ばして直接大脳へ届くかららしい。

 

 

作業中にふとインスタントコーヒーの香りがした。

豆を挽いてドリップしたコーヒーとはまた違った、あの独特なチープな香り。それと同時に小さい頃の記憶が蘇ってきた。普段はあまり思い出さないような記憶。

 

 

 

産まれてから小学二年生までの約7年間、地元の中でも特に地価の高い地区に住んでいた。小学校の同級生には、お医者さんや銀行マンなどの職業に就いている親を持つ子が多く、立派なお家に住んでいる友達がたくさんいた。なかには、母子家庭や父子家庭の子も一定数おり、狭いアパートやマンション暮らしをしている子もいた。

 

 

その頃住んでいた家は、学区内でも一番の高級住宅街が広がっている地域にあった。幼馴染の家は二世帯住宅で、二つの大きい家の前には広い庭があり、コリー犬が駆け回っていたり、素敵な花壇やブランコがあったりした。また別の友達の家は伝統的な日本家屋で、テレビの中でしか見れないような中庭が家の中にあったり、車庫の上にも土が盛られていて裏から登れる庭のようなものが広がっていたり、自分の家にはないものがたくさんあった。

 

 

そんな高級住宅街の中でも、わたしは一二を争うくらいボロい平屋に住んでいた。家の間取りはキッチンに和室が二つ、そして狭い縁側があった。縁側の大きな窓はガタガタ揺らすと鍵が徐々にゆるんで平気で開くようなセキュリティーのセの字もないような家だった。洗濯機は二曹式だったし、夏場にはキッチンの勝手口からクワガタがのこのこ上がって来たり、天井の上に蜂が巣を作ってフンが落ちて来たり、なかなかにハードボイルドな生活をしていた。

 

 

家は狭くてボロかったけれど、庭が家と同じくらいの大きさがあったことは救いだった。一本の銀木犀の大木が生えていて、秋になると雪のように小さな花がひらひら舞って落ちてくるのが楽しみだったし、縁側の縁に座ってスイカを食べて種を飛ばして芽が出るのを待った。

 

 

 

幼少期に特に楽しみにしていたのは、母が家の中を掃除している間にその庭で座布団と一緒に日向ぼっこすること、母と一緒に図書館や資料館へ行くことだった。

 

家から徒歩1分くらいのところに、郷土資料館のような場所があった。

貨幣の歴史がわかる常設展や、こじんまりしたものだが特別展もやっていた。その展示が変わる度に連れて行ってくれていたのか、何度もその資料館を訪れた。

 

入り口の近くにはソファーやテーブルが4セットほど並んでいるラウンジのような場所があり、いつもスタッフか誰かがコーヒーを淹れて鳩サブレのようなお菓子と一緒に持って来てくれていた。小さかった私はコーヒーは飲めなかったはずだけれど、そこに行けばお菓子が食べられるといつも楽しみにしていた。おそらく、その時間は母にとっても日々の息抜きだったのだと思う。

 

ある時は、家から20分ほどの距離を歩き、町の図書館に本を借りに行った。魔女の本とお料理を作る女の子のシリーズを気に入って読んでいた。帰りがお昼近い時には、家までの帰り道にあるパン屋さんでサンドイッチやシナモンロールを買って帰った。

 

 

 

そしてまたある時は、父親が職場で保護してきたという真っ白な伝書鳩を段ボールに入れて家まで連れて帰ってきた。怪我が治るまでの短い期間だけ預かっていたのだが、母が誤ってケースの中から出してしまって、狭いお風呂場の廊下へ逃げていく鳩をなんとか捕まえようと必死だった光景は今でもうっすら覚えている。その鳩の怪我が治り、近くの運動公園まで放しに行って悲しみに暮れながら家に帰ったら、家の外に止まっていた。伝書鳩だから家までの道のりを覚えていたらしい。二度目は30分ほど車を走らせた港の近くの公園で放したら、今度はもう帰ってこなかった。

 

 

 

小学二年生の終わりに、1年弱建設していた家がやっと完成して、私はそのボロい借家から目出度く引っ越すことになった。小学校には卒業まで学区外からバス通学していたし、夏のラジオ体操にも元の家の学区のところに参加していたので、何度か前に住んでいたボロい家の前を通ることがあった。

 

その家もどんどん木が腐っていき、雨戸の戸袋はぼろぼろになり、泥棒やホームレスが住処として使っていそうな雰囲気を漂わせていた。私が上京して地元を離れる頃には大きな銀木犀の木は切られ、家も更地になって、月極駐車場へと変わっていた。

  インスタントコーヒーの香りで思い出したのは、私の原風景の一コマだった。

 

毒親コンプレックス

先日、結婚式の最終打ち合わせとメイクリハーサルがあって地元に帰った。

数日間の滞在中には友人二組に会ってファミレスでお茶をしたり、居酒屋へケーキを持ち込んでサプライズで友人の誕生日を祝ったりした。けれど、実家には帰っていない。

 

 

「ウェディングハイとマリッジブルー」にもつらつら吐露していることだけれど、私は“結婚式というイベントそのもの”が憂鬱でたまらない。 

 

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私にだって楽しみにしていることはある。メイクさんに綺麗にヘアメイクして貰うこと、料亭で食べる豪華な食事、もう一度着たいと思っていた振袖を最後にもう一度着れること(成人式と卒業式にも着たので3回目になる)、いつぞやの記事で書いたコアラおばあちゃんに参加して貰うこと。これらは主に当日のこと。

 

 

結婚式は一日のうちのたった数時間で終わってしまう儚い行事だけれど、それまでには数ヶ月の準備期間がある。これが憂鬱の種でしかない。その種は主に自分の両親。

 

 

私は両親(特に父親)と仲が良くない。毒親というやつだからだ。

毒親にも色んな種類の親がいると思う。暴力を振るうとか、酒に溺れているとか、その家庭それぞれのタイプがある。私の場合は「インテリクソ親父タイプ」とでもする。

 

私が幼い頃は普通の良い父親だったと思う。よく遊んで貰ったし、父親のあぐらの上に喜んで座ったことも覚えている。その頃の写真を見ても、『となりのトトロ』に出てくるサツキとメイの父親や『Dr.コトー診療所』の五島健助のような柔らかい風貌をしていた。ところが、今は男梅のように眉間に深いシワが入って、アコギを抱えてフォークソングを歌っていたという大学時代からは想像もできない“THE 頑固親父”という外見をしている。

 

 

小学生の頃から、こいつはちょっとおかしいな。という出来事が増えるようになった。

地元の中でも一番裕福な家庭が多い地域に住んでいたので、周りには自然と育ちが良く頭の良い友達が多かった(裕福さと頭の良さは比例していると思う)。それもあって、私も勉強は得意な方だった。小学6年生の時にオール3(3段階評価なのでmax評価)を貰って帰った時、私は単純に褒めてもらいたかったが、父からの一言は「俺はお前がオール3を取ったくらいで褒めないからな。」だった。しかもキレ気味で。

 

 

それから、徐々にインテリクソ親父が本性を露わにしていく。中学生から、三者面談は必ず母親ではなく父親が出席することになった。誕生日にくれるのは決まって新版の辞書各種だったし、部屋には塾のような大きいホワイトボードが置かれ、週に3回は朝5時に起きてマンツーマンで勉強しなくてはならなかった(入念な予習が必要だった)。

 

中学時代は部活で何度か表彰されていたため、高校受験はスポーツ推薦で受験できたのに、父はそれを許さず、仕方なく学力推薦で行くしかなかった。結果、推薦受験は不合格。その志望校にはどうしても行きたかったので、一か八か一般受験も受けた。合格発表の当日、「お前の学力では受からない」と言われて、発表を見ずに滑り止めの私立高校にお金を払いにいくと連れて行かれそうになり、なんとか懇願して合格発表を見に行ったら受かっていた。

 

 

大学受験もそうだった。高校時代にもインテリクソ親父力は大いに発揮され、わたしは自分の意思を主張するのにすでに疲れきってしまっていた。三者面談では担任よりも強い影響力を持っていたので、もはや父親の意向に沿うしかなくなってしまっていた。志望校はほとんど父親が決めた(自分が選んでもこれはダメだと一蹴された)。

 

その頃から「大学を卒業したら好きなことをやる。それまでは波風立てずに父親のいうことに従っておく。」という考えになってしまっていた。抵抗することが無意味なことだとわかってしまったからだった。結局、就職にも父親は口を出してきて「教師になれ」の一点張りだったが、なんとか振り切って教師にはならずに済んだ。

 

 

わたしの父親には「自分の言う通りにすれば良い」と考えしかなく、娘の人生を添削するようなクソ人間だったのだ。

 

結婚の話が出た時も、真っ先に言われたのは「お前は妊娠しているのか」だった。本当に最低な人間だと思ってめちゃめちゃに泣いた。親は難癖を付けてこの結婚を破談にしようとしていたけれど、これまでのように父親の罠に引っかかってはいけないと思ったわたしは、毒親関連の本を探して読んでは論理的に父親に立ち向かう方法を考えた。

 

いつか打破しないとずうっと父親のいう通りの人生になってしまう。その時に、今までは自分の人生を父親のせいにしかしてこれなかったことに気づいた。自分で決めたことじゃないと、自分で責任がとれない。「失敗したっていいから、自分で全部決めさせて欲しい」と自分の口で父親に言えた時に、呪いが解け始めた気がした。

 

 

結婚して関西に引っ越してからは、それまでの思考からのリハビリが始まった。実家から500㎞以上離れていることは本当にありがたかった。自分に害のある人間とは、物理的に離れるべきだと心から思っている。毒親に育てられた人の特徴には「どこかで親が見ている気がしてしまう」というものがあるらしいのだが、それは本当にそうだった。何をするにも「父親に知られたらなんと言われるか」というのが真っ先に浮かぶ。

 

 

わたしもずる賢い人間なので、学生時代から少しずつ親の目を盗む術を磨いていった。大学時代は姉とシェアハウスに住み続けていることにして、友人と台東区のマンションで住み始めた。こちらに越してきてからも「仕事は決まったのか」とうるさいので、適当に近くの名の知れた会社で働いているという巧妙なウソを付いている。わたしは嘘や中途半端なことをいう人が嫌いで、白黒どちらかはっきりさせたい人間だけれど親に対しては違う。ハウルがいくつかの名前を使い分けているのは「自由に生きられるのに必要だから」だと言っていたみたいに、自由に生きられる分につく嘘は時に必要なものだとわたしは思う。

 

 

 

今日、結婚式のことで連絡して欲しいとメールがきた。

実家に電話をかけたところ、当日の工程表や招待状のコピーを送って欲しいとか、ゲストの交通手段は大丈夫なのかとか、一度決まったことをほじくり返そうとするいつもの感じで本当にうんざりした。挙げ句の果てには、体調が悪いと言ったら「生理が止まったとかそういうことじゃないよね?」と言われたんだけど、デリカシーなさすぎじゃないか。どんだけ妊娠のことばっかり考えているんだろう。頭沸いてるなと改めて実感した。

 

 

わたしにとっては「結婚式=毒親からの独立記念日」でしかない。あと一ヶ月でこの苦痛からも解放されると思うとじっと耐えるしかない。それまでに大災害が起きて全ての計画がパーになるなんてことはお願いだから起きないで欲しい。結局のところ、毒親との戦いには終わりが見えないことが現実の厳しいところなんだけど、いまはやってやんよという気分。たった数分の電話でこれだけ疲労感が出るって、毒親はすごい。

 

文鳥を飼ってから始まった新しい生活のこと

今日10月24日は文鳥の日」ということで、私も便乗して文鳥について綴りたいと思います。

 

 

文鳥の日」はライターの伊藤美代子さんが制定したもので、日付には「10(て)2(に)4(し)あわせ(手に幸せ)」の語呂合わせや「1024」の数字で文鳥の姿を表せるなどの由来があるようです。

 

 

私が文鳥を飼うことになったのは、退職・結婚・引越というイベントが重なってライフスタイルがガラッと変わったことがきっかけでした。それまで浅草付近の下町で友人と二人でルームシェアをしていましたが、結婚を機に約500㎞離れた関西へ住むことになったのです。地元は北関東、大学時代からは東京にいたため、関西に住む友達はゼロ(高校の同級生とかは居るけど別にそれほど仲良くない)。免許はあってもまだ一人で運転できるほどでなかったため、引っ越してすぐの自宅での過ごし方は、荷物を片付けながらプレステでゲームをするという引きこもりと紙一重な生活でした。

 

 

急に直面した “誰からも必要とされていない” 状態が、あまりにも自分にとってはしんどかった。距離も距離なため当たり前のことだけれど、友人からお茶のお誘いもなく、仕事を頼んでくれる上司や同僚もいない。幸せな新婚生活なはずなのに、虚無感に襲われて眠れない毎日を過ごしていました。これこそがマリッジブルーなのだと体感するのでした。

 

 

そしてある日、夫からの「ペットを飼おうか」という一言。

前々からいつかペットを飼うことになったら、漠然と文鳥を飼いたいと思っていた私は文鳥が良い!と即答。善は急げと翌日には近くのホームセンターのペットショップへ行き、一匹の文鳥のヒナを連れて帰ってきました。

  

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 あまりにも唐突に始まった文鳥との生活。それはもう素晴らしい日々の始まりでした。

それまで、カブトムシとクワガタしか飼ったことがなく、「ペットは家族」という感覚がいまいち分からなかった私が、いつの間にか文鳥を自分の子供のように育てていました。

 

 

正直、秋葉原のドブ川にざばーんと身投げしてやろうかと思ったこともあるくらい、仕事を辞める前はメンタルも体力もボロボロでした。ルームシェアしていたマンションが日当たりがあまり良くなく、湿気が多かったのも本当に良くなかった。人間には日当たりの良い部屋と自分が必要とされる場所・人があればそれで十分なのだと思います。

 

 

残念ながら、1代目の文鳥は生まれてから一年も経たずに不慮の事故によりなくなってしまいますが、一週間泣き暮らして夫と沢山話し合った結果、里親になることを決めました。思い立ったが吉日、里親になると決めた日に我が家に来ることになった文鳥たちと出会います。

 

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それからというもの、文鳥にどハマりしてしまった私と夫。そもそも夫は文鳥以前に鳥類に全く興味のない人間でした。いまでは「ゆくゆく家を買ったときは、コールダックを飼いたいね」という話をするほど。コールダックを見にホームセンターに行ったはずなのに、文鳥を連れて帰ってきましたので現在我が家の文鳥はめでたく三匹に増えました。

 

 

都会の生活に疲れてしまった人は、程よい田舎で文鳥と暮らすというのも人生の過ごし方の良い選択肢の一つではないかなと思います。

わたしがはてなスターを付ける理由

はてなブログを初めて早5ヶ月。はてな全般に関するがまだまだたくさんあります。

先日、ようやくはてなブックマークというものを使ってみました(遅い)。何だか議論に参加するみたいで、はてな初心者としてはちょっとドキドキしましたが、案外さらっとしているんですね。

 

はてなスターについて

ベテランはてなブロガーさん達にとっては、鼻くそみたいな話題かもしれません。まだまだそんなところに居るのか、とどうぞ鼻で笑ってやってください。私ははてなの初心者マークを大きく掲げて、今日はいつも思う疑問「はてなスターを付ける基準とはなんぞや」について考えてみたいと思うんです。(「〜とはなんぞや」ってフレーズ、高校にいたアンガールズ田中似の政経の先生の口癖でした。ちなみに、いつの間にか辞めていなくなっていたけれど。)

 

そもそもはてなスターとは?

普段熱心に説明書って読まないタイプなんですが、今回改めてはてなスターについて調べてみました。

日々ブログを読んでいていいなと思っても、コメントを書いたりトラックバックを送るのは敷居が高く、気持ちが十分に書き手に伝わらずに終わってしまうことも多いでしょう。はてなスターは既存のブログにワンクリックでがつけられます。あなたのいいなと思った気持ちをに変えて、世界のブログにをつけよう!

      はてなスターはじめてガイド - お問い合わせ - はてな  より

 

はてなスターはじめてガイド、こんなページがあったなんて今更知りました。

まあ、いわゆるTwitterでの♡と一緒だよね。確かに、コメントよりも気軽に気持ちが伝えられる良いツールですよね。

 

 

はてなスターの種類と入手方法

次に、はてなスターの種類について。以下の4種類が存在しているんですね。

 

 ノーマルスター(レア度:0)

 グリーンスター(レア度:1)

 レッドスター (レア度:3)

 ブルースター (レア度:5)

 

急にレッドからのレア度が2つ上がっている。。

そこって0→1→2→3で良かったような気もしなくもないけど、まあいいか。。。

 

  

入手する方法は、サービスの利用に応じてはてなからプレゼントされるカラースターが詰まった「カラースターBOX」を購入するという主に二種類。

 

 

ではどんなタイミングではてなからプレゼントされるのか、

基本的にはサービスを登録・開始した際や人力検索はてなで有料質問、有料質問への回答がベストアンサーに選定された時に貰えるようです。その中でも、レッドスター以上のレアスターがプレゼントされるタイミングってはてな市民昇格時」のみ(※プラチナの場合)という結構厳しい条件なんですね(カラースターについて - はてな  より)。

 

 

ってことは、ほぼほぼレアスター(レッド・ブルー)って購入しないと手に入らないんじゃん。そりゃレア度も急に上がるわな、と納得。

 

 

そして、はてなスターはじめてガイドの中で一番知らなかった情報がこちらです。

自分がをつけた相手が自分のブログにをつけてくれた場合、その相手は3ヶ月間「Star Friend」になります。また最近3ヶ月以内に自分のブログにを付けてくれた相手のブログには、「Add StarAddボタン」のとなりに「Commentコメントボタン」が表示されてコメントを残すこともできます。

「Star Friend」っちゃなんぞや。いきなり出てきたなおまえ。

 

 

どうやら、一方的に自分が3ヶ月以内にスターを付けた状態は「Favorites」、相互的にスターを付けあった状態が「(Star)Friends」になるらしい。

 

 

さらに、Favoritesの人だけがコメントを書き込ことができる機能「スターコメント」というものも存在しているらしい。知らなかったー。尚、書き込まれたコメントはFavoritesの人だけしか閲覧できないためプライベートなやりとりが可能、とのこと。

 

 

うーん。なんか調べれば調べるほどちょっとよく分からなくなってきてしまったけれど、スターを自分だけでなくお互いに付ければ更にできる機能が増えるよってことですね。そして、それはスターを付けてからの期間限定(スターをつける毎に延長)。そういうポイントカードってたまにありますよね。

  

とりあえず、大体はてなスターについて概要がわかってきたところで、次に移りたいと思います。

 

 

はてなスターを使う基準について

ここで、最初の疑問に立ち返ります。

「一体はてなブロガー達はどんな基準で普段はてなスターをつけて居るのか?」

 

私個人の見解としては、“雰囲気・直感・手元にあるはてなスターとの比較”に尽きるかなと思います。

 

私のはてなスターを付ける基準

★★★ノーマルスター3つ)=「読んでます〜。今日も面白かったです〜。また読みにきますね〜。」

基本わたしのはてなスターは3つから始まります。だってノーマルスターは無限につけられるのに、一つや二つだけしか付けないなんてなんか申し訳ない!って気持ち。(もちろん記事にスターをいただけるだけで嬉しいのですが、スターを1つだけ貰う時は「手厳しいな〜」としょんぼりしています。)

 

★★★★ノーマルスター4つ)=「うわっ、あの表現の仕方すごい好きだわ〜。クスッとしちゃったポイントがちょっとあったな。」

ほとんどいつも読んでます〜のノリと変わらないのですが、ポイント的にとても好きな表現があったり、爆笑までいかないけど地味に笑えるなあの箇所っていうのがあると、一つ星が増えます。

 

★★★★★ノーマルスター5つ)=「うわ〜〜〜めっちゃ面白かった〜!やっぱこの方の記事は面白いわ〜〜〜。わたしもこんな記事が書けるようになりたい〜(もはや嫉妬)。」

これはノーマルスター4つよりも少し段階が上がるかもしれない。星ボタンを冷静に5回押しながらも、めちゃめちゃこの人面白いじゃん!良記事じゃん!!最高!!!という結構テンションの上がった状態。

 

グリーンスター1つ)=「最高というかもはや天才です。わたしには真似できません!!!!!」

ノーマルスターは無限に使えますが、6つ以上だとなんとなくくどいかなーって気がするので、使わないことにしています。そのため、自動的にグリーンスターに移行します。もうグリーンスターの場合は、「あたしにゃ頑張ってもこんな記事は書けねぇや。恐れ多いっす。」って感じです。

 

 

まとめ 

一体このはてなスターについて、どのくらいの人が理解して使っているのでしょうか。

私は多分この機会に調べなかったら、いつまでも「手元にあるから使おうかな〜」くらいの気持ちで使っていたと思います。

  

ただの持論ですが、はてなスターの使い方はお金の使い方に通ずるところもあるんじゃないかなと思っています。普段、ある程度の額は貯金していますが、使うときはえいっと大胆にお金を使うタイプです。その代わりあまり中途半端なものは買わない。

 

わたしはまだはてな初心者で、スターを購入したこともないので、基本的にノーマルスターと限られたグリーンスターでやりくりをする感じ。ただ、もしレッドスターブルースターが手元にあったのならば、「面白い!!!最高この記事!!!!!」と思った時は案外すんなり使うのではないかなーという気がしています。

  

詰まる所、はてなスターの使い方もお金の使い方も「人それぞれ」、いろんな考え方があって良いしそれが当然のことだと思います。そんなこと言っちゃったら考察する意味がないんですけど、10人いれば10人なりのはてなスターの使い方がある。ドラマ『すいか』の教授風に言うと「色んな人が居ていいんです。」だと思います。以上!

 

 

 

 

 

 

コアラみたいなおばあちゃんの話

わたしにはコアラのようなおばあちゃんがいる。

正確にはもう一人、90を越えてもKトラを乗り回し、畑でハチに刺されぶっ倒れるも、やることがないから焼酎を飲んで畑でぼーっとしていたことを金歯をチラつかせながら笑顔で語る強者のばあちゃんもいる。こちらは“おばあちゃん”ではなく、“ばあちゃん”という呼び方が相応しいはずなのでそうしておく。

 

 

半年くらい前、姉がコアラのようなおばあちゃんに携帯電話を買ったそうだ。所謂らくらくホンというやつだ。母や姉、もちろん私も帰省する度に使い方をレクチャーし、トレーニングを重ねた結果、いまでは自分で電話がかけられるようになった。そしてたまに、おばあちゃんから着信がある。主に、台風や豪雨などの後に入る「大丈夫だった?」という旨の生存確認。住んでいる場所が500キロメートル以上も離れているので、おばあちゃんの住む地域とは天候が全く違うのだ。ただ気付いたらボタンに触れちゃっていたという誤発信も稀にある。

 

 

コアラおばあちゃんは母方の祖母なのだが、一見とてもおっとりしていて優しそうに見えるけれど、中身は案外淡白でもある。心配になって電話をかけてきたと思ったら、3分くらいであっという間に「じゃあね」と強制終了される。母との電話も、要件が終わればすぐに「じゃあね」と切られるし、上京してから(ましてやこちらに引っ越してきてからも)母と長電話というものをしたことがない。そもそも、ホームシックになったことが人生で皆無と言っていいほどない。

 

 

 

そんなコアラおばあちゃんだが、大学生くらいまでは会う機会も月に1回くらいで、わざわざ電話をすることも滅多になかった。おばあちゃんと二人でよく話をすることになったのはここ2〜3年のことで、そのきっかけは伯父(母の兄)が急逝したことだった。

 

 

それまで、コアラおばあちゃんは実家から車で15分くらいのところに伯父と二人で住んでいた。おじいちゃんが亡くなってからはずっと二人暮しだった。わたしが実家を出るまでは、家族で魚市場に買い物に行った帰り道に、刺身を届けに寄るついでに、小一時間ばかりお茶を飲んだりお菓子を食べたりしてお互いの近況を話すくらいだった。それが、突然伯父が亡くなったことにより、両親とおばあちゃんの同居が始まったのだ。

 

 

東京に住んでいる間はよく実家に帰っていたので、おばあちゃんと話す機会や時間も高校生・大学生の時と比べて格段に増えて行った。そして、特に結婚の話が出てからは、両親(特に父)とは冷戦状態だったため、まともに落ち着いて相談ができるのはおばあちゃんしかいなかった。

 

 

そんな冷戦状態のなか、両親が不在の時を狙って、実家に帰ったことが2度ほどあった。主な目的は、万が一実家に二度と帰らなくなっても良いように準備するため、実家にある不要なものを全部捨て、必要なものを手元に持ち帰ること。そして、どうしても伯父の墓参りに行っておきたかった。

 

 

一度は父親が予定を早めて突然帰ってくるという不測の事態が起き、若干の修羅場状態になった。コアラおばあちゃんはテンパりながらも自分の部屋に籠って行った。父親に暴言を吐かれたわたしは、翌日に伯父の墓参りを済ませ、帰りの高速バスに飛び乗って東京に帰ったのだった。

 

 

二度目は、確か三連休だったような気がする。両親は父方の実家に行っていた。

家の電話に着信を入れるとバレる可能性があるので、何の連絡もなしに帰ったが、おばあちゃんの第一声は「帰ってくる気がしてた。」だった。さすがおばあちゃんだと思った。実家に帰る前に駅のデパートの惣菜コーナーで、お寿司や巻き寿司など美味しそうなものを一通り買って、おばあちゃんと食べた。おばあちゃんはTHE 適当人間なので、ご飯も食べたり食べなかったり、お風呂も朝昼夜関係なく好きな時間に入る。基本的に火を使わないおばあちゃんだが、何かわたしに食べさせたかったらしく、夕食用に気付いたらカルビ弁当をデリバリーで注文していた。(おばあちゃんなのにカルビ弁当というチョイス、最高だと思う。とうに亡くなった格好いい大伯母も、天ぷらやうなぎなどの油っこいものが好きだった。)そして仲良くカルビ弁当を食べた。二度目は両親と鉢会うこともなく、無事に帰路に着いた。

 

後日母から連絡があり、ゴミ箱にカルビ弁当の弁当箱が二つあったことから、わたしが こっそり帰ったことは母にはバレていたらしい。

 

 

不思議なもので、親と上手くいかなくても、祖父母とは上手くいくということはよくあると思う。単に歳が離れていて、祖父母が人生経験を多く積んでいるから寛容だということもあるだろうし、親というクッションを一つ挟んでいるからある程度の距離がそうさせるのかもしれない。けれど、代々続く老舗を二代目が危うくし、三代目が先代の意思を継いで再盛するという例は結構多くある気がする。

 

 

わたしはたとえ親不孝と言われたとしても、親のことをリスペクトしているとは言えない。 その代わり、祖父母のことはすごく尊敬している。(だからと言って、祖父母世代をみんな尊敬できるかと言われればそうではなく、先に書いた“ばあちゃん”はかなり癖の強い人間で、もちろん好きだが人間としてどうかと思う部分もあるので、このばあちゃんだけはリスペクトの対象からは除かれている。さくらももこさんの祖父「友蔵」と同じようなポジションかもしれない。)

 

 

自分がある程度の年齢になって、物事の善し悪しや社会のことを知ってからでないとできない話はたくさんある。残念ながら、祖父は母方・父方ともにわたしが学生のうちに亡くなってしまったので、あまり深い話をすることができなかった。

 

コアラおばあちゃんは生まれはお嬢様だったらしい。昔の写真を見ると、今の柔らかい雰囲気に似合わず、ファンキーな雰囲気が漂っている。書店をやっていた祖父と結婚して貧乏になってしまったらしいが、若い頃は郵便局に勤めていて、切手を集めるのが好きだったそうだ。全然聞いたことがなかった、わたしの両親の結納や結婚式の話も色々聞いた。

 

 

伯父の死は、本当に突然のことであまりにもショッキングだった。何が一番辛かったか、息子を失ったおばあちゃんの涙も出ない憔悴しきった姿を見るのが一番しんどかったように思う。訃報により、さらにわたしの結婚には山が増えたわけだったが、無事にその山を乗り越えた今改めて考えてみると、おばあちゃんとこうしてゆっくり話す機会をたくさん貰って、本当に感謝している。