うみねこのブルース

わたしたちは自由だからブルースだって歌ってやる

誰かの願いが叶うころ

電車に乗って宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』を聴きながら、タイの少年たちのニュースを読んでいたら、思わず涙ぐんでしまった。本当にそうだなと思った。

 

 

この数週間でいろんな人が亡くなったり、助かったりするのをみた。本来は人の命は平等なはずなのに、情が生まれると一瞬で平等じゃなくなる。カンボジアの虐殺博物館でみた女の子の顔写真をわたしはずっと忘れられない。

 

  

生と死は思っているよりも遥かに紙一重なんだということを日に日に実感させられている気がする。まさに今日あることが明日もあるわけではない、皇族の婚約記者会見であった台詞のようなものだと思う。

 

 

神様はその人が乗り越えられる試練しか与えないとよく言うけれど、全然そんなことないと思う。平等なんてことは、その単語が存在しているだけで、本質的にはあってないようなものだ。

乗り越えられる試練しか与えないのであれば、自殺をする必要もないし、たまたまその人が乗り越えられたからそう語られているだけだろう。世界を広くみても身近なところを見ても、なんて不平等なんだろうと感じさせられることの方がよっぽど多い。

 

 

幸せって案外簡単に手に入る物じゃないのかもしれないな。

単純なはずなのに、すごい難しい。

 

見栄なんか張らないで、オリンピックなんてさっさと辞めちゃえばいいのにな。

今年はワールドカップも1試合も見なかった。そういうお祭り事への熱が冷めてきてる。オリンピックのときに東京に住んでいなくてよかったと今は心底思う。きっと私がその頃大学生だったら、何も考えずにボランティアに登録して奴隷のように労働力を無駄にしているだろうな。というかそれまで東京に住んでたら、わたしオリンピックまで生きていられるのかな、って不安になる。

 

 

 

 

芦屋マダムを見ても、港区の高級タワマン暮らしを見ても、何とも思わない。

お金にとらわれて生きることはすごくしんどいことだと思う。

 

美味しいものを食べて、ぐっすり布団で眠ること、

これだけあれば、私は幸せを感じられる自信がある。

ただただ、私はのんびり生きていたいだけなのです。

 

 

豊かさと引き換えに、何か大事なもんを失っちゃったんだろうな。

何かを得るには何かを捨てなきゃな、って平等の二文字よりもよっぽど信憑性ある。

 

 

とにかくいまは、テレビでやっていた奥さんと子どもとお義母さんが行方不明になっているお父さんが早く穏やかに眠れるようになったらいいなと思っている。