うみねこのブルース

わたしたちは自由だからブルースだって歌ってやる

隅田川の花火

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 わたしは一度だけ隅田川花火大会に浴衣を着て見に行ったことがある。

当時浅草に住んでいたときのルームメイトと一緒に。着物が好きでよく着ていたルームメイトに浴衣を借りて、着付けもして貰った。今では幻のように感じてしまう儚い思い出。

 

 

 

あとから知ったことだけれど、人生のなかではソウルメイトと言われるようなある一時期に自分の人生に居るべくして居るようなひとがいる。らしい。

 

ルームメイトは高校の同級生で、部活も同じだった。高校時代は別に仲のいい友人がいて、別段仲がいいというわけではなかったけれど、大学から東京に出てきたことや大学や勤務地が近かったこともあり、徐々に仲を深めるようになった。

 

あの頃のわたしたちは誰がどう見ても一心同体で大親友とも呼ぶべき存在だった。友人を通りこしてもはや姉妹のような、家族に近い存在だったかもしれない。

 

 

 

2年前の隅田川の花火のとき、既に私たちは少し気まずい雰囲気を持っていた。お互いの生活リズムが違いすぎて、それまでぴったり合っていた波長がもはや合わなくなっていた。

 

 

 

 

いまから3年前くらいになるけれど、ルームメイトのお母さんが癌で亡くなった。ルームメイトは大きなショックを受けて、仕事も半年くらい休職して実家に帰っていたので、しばらくは浅草のマンションで私ひとりで暮らす形になっていた。

 

ルームメイトが休職期間を終えて浅草に戻ってきたころには、わたしは婚約が決まっていて(いまの夫)、結婚のために両親との挨拶やらそのあとの未来に向かって動いている真っただ中だった。しかし、両親とは揉めており、私の伯父が急に事故で亡くなってしまったこともあり、仕事も忙しく自分のことで精一杯になってしまっていた。

 

 ルームメイトは悩んだ末に復職が決まり、新たにまた頑張ろうとしていた矢先に今度はお祖母さんを亡くしてしまった。隅田川の花火を見に行ったのはお葬式を終えて数週間経ってからだったと思う。急に色んなことが起きたせいで、余裕がなくなっていたのだろうと思うけれど、どんどん家のことをおろそかにするようになっていて、少しずつ私にストレスが溜まるようになってきた。

 

花火大会のあと、ホッピー通りの飲み屋で、「せっかく落ち着いたと思ったのにおばあちゃんのことがあってまた迷惑をかけると思う。ごめんね。」というようなことを言われた。わたしも伯父を突然亡くしたあとだったので、近しい人が居なくなってしまったショックはひしひし感じていたし、出来るだけサポートしようと思った。

 

 

 

それでも、人は自分のことが精一杯になると、心が狭くなってしまうらしい。

わたしは両親と話をまともに出来る状態でもなく、仕事も多く抱えてしまって、家のことは殆ど私がやらなければならず、安らぐ場所がなくなってしまっていた。色んな塵が積もって、挙げ句の果てにはスマホのなかを見られているかもしれないという疑惑が生まれてしまって、ルームメイトを信用できなくなってしまった。口数もどんどん減ってしまって、最後には私から自然と避けるようになっていた。

  

 ルームメイトと住む以前に、自分の母に「女の嫉妬心は怖いから気をつけなさい」と言われたことがあった。私たちが啀み合う仲になるなんて、その頃は想像もできなかったので、話半分に聞いていたけれど、母が言っていたことはこれかと思ってしまった。

 

ルームメイトが誰かに頼りたい、すがりたい気持ちなのは知らないふりをして分かっていたし、出来ることならずっと二人で仲良く暮らしていたいと思っていた。けれどそれは、ただの絵空事にすぎなかった。天然だったルームメイトがするドジの数々を今までは笑って許せたのに、全く許せなくなって、自分が抜けているということを言い訳にしていることに腹が立つようになってしまっていた。

 

 

 

結局、わたしは一年弱に及ぶ両親とのバトルの末に結婚の許しを得て、退職届を提出したり、引っ越し先を決めたり、どんどん次の生活への準備を進めていた。引っ越しの数日前に、浅草の仲見世にあるコマチヘアという髪飾りのお店で、サーモンピンクのかんざしと綺麗な和風の生地のケースに入ったつげ櫛を買った。店員さんと相談しながら、一番似合いそうなものを選んだ。引っ越しの荷物を運び込んで、最後に家を出るときに渡したのだけれど、見送る時の悲壮感を漂わせながら必死に笑顔で取り繕っていたのが見ていられなかった。今思えばそれはまるで手切れ金みたいなものだったなと思う。

 

 

 

こちらに引っ越してきてから、家賃の精算の件が終わってからは一度も連絡を取っていない。しばらくは連絡も取りたくないし、他の友人を含めても会いたくない。

 

それでも一番思うのは、東京で一緒に暮らしたその数年間のあいだに、その子がいないわたしの人生はなかったと思う。必ずあの一時期に二人でいる必要があったのだと思う。現時点では悲しい結末になってしまっているけれど、それでもそう思う。

 

彼女がお母さんやお祖母さんの死の悲しみから抜け出して、前までの明るさを取り戻したときは、またいつか会って話せたらいいなと思う。

  

 

いまどこに住んでいるか詳しいことは分からないけれど、浅草の近くに引っ越したことだけは知っている。きっと今日の隅田川の花火を見ているはずだけれど、彼女はどんな気持ちで見ていたんだろう。今日はそんなことを思わずにはいられなかった。