うみねこのブルース

わたしたちは自由だからブルースだって歌ってやる

ウェディングハイとマリッジブルー

結婚式、それは女の子が誰しも憧れる人生の一大イベントなんだと思っていた。

マジョリティにとっては今も昔も憧れなのかもしれない。

 

 

私は小学生の頃から結婚式をやりたくなかった。だってそもそも、自分の両親が見ている前で誓いのキスをするなんて、どうやったって考えられない!と小学生の小さきおなごながらに考えていた。それは約二十年経っても変わらなかった。結婚式なんてやらなくていい。

 

 

私の周りでも第一次?結婚ラッシュがきている。中学校の(あまり仲良くない)同級生たちはかなり早い段階で結婚・出産している子が多いけれど、高校の同級生は大学→就職が当たり前のコースなので、自動的にいまくらいに結婚のイベントが訪れる。

 

 

 

「結婚」とは純粋に考えればとても目出度いことだ。

でも、同時に周りを不幸にさせるイベントでもあるとわたしは思っている。

 

 

社会人になって臨む友人の結婚式は、ご祝儀やその日のためのドレス、髪の毛のセット代など思った以上に出費がかさむ。正直、本当に親しい友人のそれにしか出席したくないとみんな思っているはずだ(私調べ)。

 

 

それに加えて、今では“ウェディングハイ”という言葉があるように、特に新婦が結婚によってクレイジーになってしまうことが懸念される。自分の身の回りでも、二組このウェディングハイに侵されている同級生がいるのだが、もう見ていられない。片方はディ●ニーランドでの挙式を控えているらしく、毎週毎週インスタグラムには衣装合わせや打ち合わせの内容が垂れ流される。正直、どうでもいいし、全然興味ない。

 

 

もう片方の女の子とは、一緒に出かけるような関係ではなかったけれど、なんだかんだSNSで大学を卒業してからも繋がっていて、お互いを励まし合うような良い関係だった。それでも、その子の結婚が決まった途端のウェディングハイっぷりがとてつもなく、婚約者の話や式場見学のことばかり呟くようになり、私はたまらず気づいたらブロックボタンを押していた。自分の気分を害するものを我慢してみるほど私は優しくない。

 

 

 

そんなこんなでさらに私は「結婚」、否「結婚式」の意義について考えるばかりだった。かく言う私も、(一応)結婚式を控えている身だというのに…。

 

小学生の時からこれだけ嫌だと言っていた結婚式を私がなぜやるのかと言えば、「親の望み」それしかない。私の親はこうだと決めたら一歩も引かない人間で、「結婚式はけじめだ」と何度も催促をされた挙句に、義両親に頼んで仕方なくやることになってしまったのだ。というか、結婚式を実行すればようやく私も解放される、という気がした。

 

 

そんな結婚式も、伯父の突然の訃報により、決行が一時危ぶまれた。延期にした方が良いのか、中止にするべきなのか迷っていたら、両親の一言は「なんで?」だった。そういうものなのだろうか。私は、伯母の気持ちを考えるとそんなお祝い事なんて出来ないと思ったのに。

 

 

わたしは憂鬱な出来事や関心事があると、夢に見てしまうという悪しき特性がある。

昨夜も結婚式の夢を見てしまった。これだけ憂鬱な気分を何ヶ月も抱えていても、やってしまえば半日、数時間で終わってしまうのだから呆気ないよな、と思った。親しい友人に参加して貰いたい気持ちは山々だが、両親の面倒くささと多大な気を遣わせてしまうことを考えて、親族で慎ましくやることになった。

 

 

結婚式ってそもそもやる人はとっても幸せな気分でやるもんじゃないの?といつもそんな疑問を抱えながらも、打ち合わせや担当者とのやりとりをしていると、あぁマリッジブルーってこういうことを言うんだねと思った。そもそも、ウェディングハイになれる人たちって周りの人(特に両親や家族)にとても恵まれている人なんだと思う。

 

 

結婚式のハードルは高い。友人を呼んだ盛大な結婚式をやろうと思ったら、500万とか600万くらいかかるらしい。中学時代の友人の結婚式は、50人呼んで400万いくかいかないかだと聞いておののいた。お金がないと出来ない贅沢なイベント。普通に考えて、20代の男女が用意できる額なんだろうか。そして、穏やかな家庭こそ恵まれたポテンシャルというものはないんだなと感じる今日この頃。わたしが結婚式を無事に終えられるよう誰か一緒に祈ってください、と泣きたい気持ちでここに綴る。