うみねこのブルース

わたしたちは自由だからブルースだって歌ってやる

コアラみたいなおばあちゃんの話

わたしにはコアラのようなおばあちゃんがいる。

正確にはもう一人、90を越えてもKトラを乗り回し、畑でハチに刺されぶっ倒れるも、やることがないから焼酎を飲んで畑でぼーっとしていたことを金歯をチラつかせながら笑顔で語る強者のばあちゃんもいる。こちらは“おばあちゃん”ではなく、“ばあちゃん”という呼び方が相応しいはずなのでそうしておく。

 

 

半年くらい前、姉がコアラのようなおばあちゃんに携帯電話を買ったそうだ。所謂らくらくホンというやつだ。母や姉、もちろん私も帰省する度に使い方をレクチャーし、トレーニングを重ねた結果、いまでは自分で電話がかけられるようになった。そしてたまに、おばあちゃんから着信がある。主に、台風や豪雨などの後に入る「大丈夫だった?」という旨の生存確認。住んでいる場所が500キロメートル以上も離れているので、おばあちゃんの住む地域とは天候が全く違うのだ。ただ気付いたらボタンに触れちゃっていたという誤発信も稀にある。

 

 

コアラおばあちゃんは母方の祖母なのだが、一見とてもおっとりしていて優しそうに見えるけれど、中身は案外淡白でもある。心配になって電話をかけてきたと思ったら、3分くらいであっという間に「じゃあね」と強制終了される。母との電話も、要件が終わればすぐに「じゃあね」と切られるし、上京してから(ましてやこちらに引っ越してきてからも)母と長電話というものをしたことがない。そもそも、ホームシックになったことが人生で皆無と言っていいほどない。

 

 

 

そんなコアラおばあちゃんだが、大学生くらいまでは会う機会も月に1回くらいで、わざわざ電話をすることも滅多になかった。おばあちゃんと二人でよく話をすることになったのはここ2〜3年のことで、そのきっかけは伯父(母の兄)が急逝したことだった。

 

 

それまで、コアラおばあちゃんは実家から車で15分くらいのところに伯父と二人で住んでいた。おじいちゃんが亡くなってからはずっと二人暮しだった。わたしが実家を出るまでは、家族で魚市場に買い物に行った帰り道に、刺身を届けに寄るついでに、小一時間ばかりお茶を飲んだりお菓子を食べたりしてお互いの近況を話すくらいだった。それが、突然伯父が亡くなったことにより、両親とおばあちゃんの同居が始まったのだ。

 

 

東京に住んでいる間はよく実家に帰っていたので、おばあちゃんと話す機会や時間も高校生・大学生の時と比べて格段に増えて行った。そして、特に結婚の話が出てからは、両親(特に父)とは冷戦状態だったため、まともに落ち着いて相談ができるのはおばあちゃんしかいなかった。

 

 

そんな冷戦状態のなか、両親が不在の時を狙って、実家に帰ったことが2度ほどあった。主な目的は、万が一実家に二度と帰らなくなっても良いように準備するため、実家にある不要なものを全部捨て、必要なものを手元に持ち帰ること。そして、どうしても伯父の墓参りに行っておきたかった。

 

 

一度は父親が予定を早めて突然帰ってくるという不測の事態が起き、若干の修羅場状態になった。コアラおばあちゃんはテンパりながらも自分の部屋に籠って行った。父親に暴言を吐かれたわたしは、翌日に伯父の墓参りを済ませ、帰りの高速バスに飛び乗って東京に帰ったのだった。

 

 

二度目は、確か三連休だったような気がする。両親は父方の実家に行っていた。

家の電話に着信を入れるとバレる可能性があるので、何の連絡もなしに帰ったが、おばあちゃんの第一声は「帰ってくる気がしてた。」だった。さすがおばあちゃんだと思った。実家に帰る前に駅のデパートの惣菜コーナーで、お寿司や巻き寿司など美味しそうなものを一通り買って、おばあちゃんと食べた。おばあちゃんはTHE 適当人間なので、ご飯も食べたり食べなかったり、お風呂も朝昼夜関係なく好きな時間に入る。基本的に火を使わないおばあちゃんだが、何かわたしに食べさせたかったらしく、夕食用に気付いたらカルビ弁当をデリバリーで注文していた。(おばあちゃんなのにカルビ弁当というチョイス、最高だと思う。とうに亡くなった格好いい大伯母も、天ぷらやうなぎなどの油っこいものが好きだった。)そして仲良くカルビ弁当を食べた。二度目は両親と鉢会うこともなく、無事に帰路に着いた。

 

後日母から連絡があり、ゴミ箱にカルビ弁当の弁当箱が二つあったことから、わたしが こっそり帰ったことは母にはバレていたらしい。

 

 

不思議なもので、親と上手くいかなくても、祖父母とは上手くいくということはよくあると思う。単に歳が離れていて、祖父母が人生経験を多く積んでいるから寛容だということもあるだろうし、親というクッションを一つ挟んでいるからある程度の距離がそうさせるのかもしれない。けれど、代々続く老舗を二代目が危うくし、三代目が先代の意思を継いで再盛するという例は結構多くある気がする。

 

 

わたしはたとえ親不孝と言われたとしても、親のことをリスペクトしているとは言えない。 その代わり、祖父母のことはすごく尊敬している。(だからと言って、祖父母世代をみんな尊敬できるかと言われればそうではなく、先に書いた“ばあちゃん”はかなり癖の強い人間で、もちろん好きだが人間としてどうかと思う部分もあるので、このばあちゃんだけはリスペクトの対象からは除かれている。さくらももこさんの祖父「友蔵」と同じようなポジションかもしれない。)

 

 

自分がある程度の年齢になって、物事の善し悪しや社会のことを知ってからでないとできない話はたくさんある。残念ながら、祖父は母方・父方ともにわたしが学生のうちに亡くなってしまったので、あまり深い話をすることができなかった。

 

コアラおばあちゃんは生まれはお嬢様だったらしい。昔の写真を見ると、今の柔らかい雰囲気に似合わず、ファンキーな雰囲気が漂っている。書店をやっていた祖父と結婚して貧乏になってしまったらしいが、若い頃は郵便局に勤めていて、切手を集めるのが好きだったそうだ。全然聞いたことがなかった、わたしの両親の結納や結婚式の話も色々聞いた。

 

 

伯父の死は、本当に突然のことであまりにもショッキングだった。何が一番辛かったか、息子を失ったおばあちゃんの涙も出ない憔悴しきった姿を見るのが一番しんどかったように思う。訃報により、さらにわたしの結婚には山が増えたわけだったが、無事にその山を乗り越えた今改めて考えてみると、おばあちゃんとこうしてゆっくり話す機会をたくさん貰って、本当に感謝している。